小田凱人 パリから365日劇的ゴールデンスラム


2時間12分 フェルナンデス下す
なんて劇的なのだろう。
なんて運命的なのだろう。
あの日から365日、小田凱人がゴールデンスラムを成し遂げた。
ただの達成ではない。
誰がこんな結末を予想しただろう。
現地9月6日、ニューヨークで行われた全米オープン、車いすテニスの男子シングルス決勝。
世界1位で第1シードの小田凱人(19歳)が、世界4位で第4シードのグスタボ・フェルナンデス(31歳=アルゼンチン)を6-2,3-6,7-6(11)で下した。試合時間2時間12分。
同大会で初優勝を遂げるとともに、グランドスラム4大会とパラリンピックを制する「生涯ゴールデンスラム」を成し遂げた。
▶「US OPEN」公式YouTubeより

小田の全グランドスラム成績 | ||||
全豪 | 全仏 | ウィン | 全米 | |
2025 | 準V | 優勝 | 優勝 | 優勝 |
2024 | 優勝 | 優勝 | SF | ー |
2023 | 準V | 優勝 | 優勝 | 1R |
2022 | ー | SF | QF | QF |
通算 | 10勝 2敗 | 15勝 1敗 | 9勝 2敗 | 6勝 2敗 |
※2024年パリ・パラリンピック シングルス金メダル、2024年全米はパラと同年のため不開催 |
劣勢のファイナルセット
苦しかった。
1セットオールでファイナルは5-3リードから3ゲーム連取されて5-6。
自らのサービス第12ゲームも苦しみながら、何とかキープして、タイブレークに持ち込んだ。
この時点でのトータルポイントは「85」対「89」。
完全に劣勢だった。
10Pタイブレも絶体絶命6-9
試練は続く。
10ポイントタイブレークも、フェルナンデスのリード。
さらにこの試合最長の17本にも及ぶ高速ラリー、わずかに小田の渾身のフォアがアウトして、
6-9にまで追い込まれた。
相手のトリプルマッチポイントで、さらに相手の2本のサーブ。
もはや絶体絶命だ。
魂込めた2本のウィナー
だがこの状況でも、小田は守らない。
どんな時でも攻める。「相手が強くても、それを絶対上回る!」と自分を信じて貫いた。
「テニスだけじゃなく、この思いは、どんな世界でも共通する」。
幼き子どもたちに、日本中に、そんなメッセージを込めて、魂のショットを撃ち続けた。
6球目、バックのダウン・ザ・ラインウィナー。
4球目、フォアのダウン・ザ・ラインウィナー。
いずれもサイドラインギリギリに、魔法のように吸い込まれた。
「あの2本が忘れられない!」。
百戦錬磨の小田が試合後、そう驚くほどの、奇跡的なショットだった。
相手マッチポイント4本しのぎ
8-9として、さらに2本のサーブをキープし、10-9。
土壇場で、戦況をひっくり返す4連続ポイント。
だが、フェルナンデスも粘り、10-11にもなった。
それでも小田は相手マッチポイント計4度を、すべてしのいだ。
最後は、またもやフォアのダウン・ザ・ラインへのリターンウィナー! 大逆転劇の完結!
13-11で死闘をモノにした瞬間、小田はひと目もはばからず涙した。
トータルポイントは「98」対「100」。
まだ2ポイント負けていたが、勝ったのは信念を貫いた小田の方だった。
ウィナー数49本は相手より18本も上回った。
パリ決勝から365日 史上最年少
パリパラリンピック決勝で勝利したのが、2024年の日本時間9月7日。
18歳123日で金メダルという最年少記録を作った。
あの車いすの車輪を外し、ローランギャロスの赤土に寝転がった伝説のシーンだ。
▶「Paralympic Games」YouTubeより
そして、この日の全米オープン決勝も、2025年の日本時間9月7日。
ゴールデンスラムにリーチをかけて、ちょうど1年。
「パリを超えたい、今までで一番のテニスをしたい」と臨んだ舞台で、前回に勝る感動を、日本のファンに届けた。
車いすテニス界でのゴールデンスラム達成は史上3人目(クアッドクラスを含めると4人)。
10代での達成は史上初、19歳3カ月での達成は史上最年少記録となった。
車いすテニス キャリアゴールデンスラム達成者 | |||
競技 | 選手名 | 達成年 | 年齢 |
男子 | 小田 凱人 | 2025年 | 19歳3カ月 |
女子 | ディーデ・デ・グロート | 2021年 | 24歳8カ月 |
男子※ | ディラン・オルコット | 2019年 | 28歳9カ月 |
男子 | 国枝 慎吾 | 2022年 | 38歳4カ月 |
※=クアッドを含めると4人、グロートは年間ゴールデンスラム、オルコットは2021年には年間ゴールデンスラムも達成 |
寝れない重圧
決勝まで3試合を楽に勝ち上がってきたように見えたが、
のしかかる偉業へのプレッシャーは半端なかった。
2023年全米オープンでは1回戦敗退し悔しさで号泣してもいる。
強がって強がって、自分を強い男だと暗示をかけてきた19歳は、試合後、その仮面を少しだけ脱いで、こう漏らした。
「プレッシャーもすごくて、嫌な思い出もフラッシュバックしたり、いろいろあって。昨日もあまり寝れなかった」。
「墓場まで持っていこうと思っていた」という本音を吐露した。
小田の勝ち上がりスコア | |||
回戦 | 対戦相手 | スコア | |
1回戦 | ⚪️ | C・ラツラフ | 6-1,6-0 |
準々決勝 | ⚪️ | S・リソフ | 6-3,6-2 |
準決勝 | ⚪️ | M・デ ラ プエンテ | 6-3,6-3 |
決勝 | ⚪️ | G・フェルナンデス | 6-2,3-6,7-6(11) |
パリパラを超えられた日
だが、そんな珍しい姿も一瞬だった。
小田は続けて言った。
「パリパラが終わって、ちょうど1年。その後もなんか、自分であの試合を超えられたという試合がなくて」。
「今日はあの時の試合を超えられたと思った」。
「10代最後に本当にいい試合ができてうれしいです」。
パラリンピック決勝でのアルフィー・ヒューエット(イギリス)との歴史的一戦を超えられない、とのジレンマに陥っていたが、この日の試合の満足感は、あの日を上回った。
車いすテニス界を別次元に引き上げる目標を掲げる小田にとっては、
ゴールデンスラムという偉業すら、かすんでしまうような喜びを、2本のウィナーに感じたのだろう。
進化を証明するために
「もっと俺を見ろ!」「絶対に期待は裏切らない!」。
車いすテニス界をけん引し、次のレベルに押し上げる責任を感じている。
大会を通じて「進化」したプレーを世間にアピールし続けた。
クルクルと車いすを回して処理するショット。ベースラインから下がらずダイレクトやライジングで処理するショット。バックフェンス手前という長い距離からのウィナー。
今まで誰も見たことのない驚愕のショットを次々と決めた。
ド派手なショットだけではない。
どれほどの地道な反復練習で、プレッシャーのかかる場面を想定し、ファーストサーブ、3球目攻撃、そしてタイブレークで決まったダウン・ザ・ラインを磨いてきたのだろう。
最速サーブ169キロ
小田の今大会最速サーブは1回戦で繰り出した169キロ。
もちろん全出場者でダントツのスピードだ。
今シーズンのウィンブルドンで自ら出した164キロを5キロも上回った。
参考までに、2018年全米オープン決勝での国枝慎吾の最速は137キロ、ヒューエットは132キロ。
7年前から30キロ以上球速を上げている。これが、どれほど凄いことか。
下半身が使える健常者に比べ30%以上、スピードが落ちるというデータもある中である。
小田の169キロに30%上乗せすると、理論上220キロになる。
回転するタイヤを一回しすることだけ許されるルールの中で、軸を作り、鍛え上げられた体幹と背筋、プロネーションを使って、サーブを繰り出していく。
伸び上がる動きに制限のある中、しかも座位での打点は健常者に比べてかなり低い。
もう1度言うが、動く車いすを使い、1メートル近く低い位置から上方向に打ち出しての数字である。
テニスをプレーする方になら、小田が現在進行系で、車いすテニス界に「革命」を起こしていることを、理解していただけるのではないか。
来季年間グランドスラムへ
「一番は『こいつやべーな!』と驚かれたいです」と宣言して臨んだ大会で、
言葉通りに「やべー強さ」を見せつけた。
ゴールデンスラムという大きな目標を達成した、次に狙うのは来シーズンの2026年、最年少「年間グランドスラム」達成だろう。
尊敬する国枝慎吾が初めて成し遂げた2007年時の年齢は23歳。小田は20歳シーズンで、この記録更新を狙う。
まず有明に見に来て
興奮の試合後のインタビュー。
小田は、年間グランドスラムとは、違うことを強調した。
木下ジャパン・オープン(東京・有明)への来場を呼びかけたのだ。
車いす部門は、9月27~29日かけて行われる。
凱旋参戦というよりも、とにかく車いすテニスの素晴らしさを日本のファンに直に伝えたい。
その一心だった。
赤から青へ
世界はとっくに小田の凄さに気づいている。
優勝セレモニーではトロフィーとともに、ゴールデンスラムを記念したティファニーのブレスレットを特別に贈られた。
ティファニーブルーの箱と小田のブルーのユニフォームが偶然にも重なった。
地面には全米の青いコート。
全仏の赤とは対照的だ。
勝利の直後、今回は車輪を外さず、コートに大の字に横たわって喜びを表現した。
スタンドでは日本から駆けつけた応援団が青いTシャツを着て大きな拍手を送っている。
それは、それは、実に爽やかで美しい光景だった。
▶「US Open Tennis」公式Xより
エピローグ 単複2冠にも感じる縁
シングルス決勝を争ったフェルナンデスとは、17時間ほど前、歓喜を分かち合った仲だった。
前日の第3試合、ペアを組んで、全米オープンダブルス優勝。
ダブルスでは6度もグランドスラム決勝で敗れてきた小田にとって、これが記念すべき初優勝だった。
一方、フェルナンデスのグランドスラムタイトルは、単複合わせて、2022年ウィンブルドン以来。
当時のパートナーは、小田、そしてフェルナンデスのアイドルでもある、あの国枝慎吾だった。
これが同年で引退した国枝の最後のグランドスラム複タイトルでもある。
「君とプレーできたことを誇りに思う」。
12歳年上の戦友は、シングルス覇者の小田を優しく称えてくれた。
パリからの日数同様、フェルナンデスと国枝との不思議な結びつき。
こちらでも車いすテニス界の新時代を背負う、小田の運命めいたものを感じる。