錦織圭が日本テニスに残したもの

涙で観客に感謝
キャリアハイ世界4位、長年日本テニス界を牽引してきた錦織圭(36歳)が
現役ラストマッチを戦い終えた。
10月1日、木下グループジャパンオープン1回戦。世界ランク8位で大会第2シードのフランシス・ティアフォー(28歳)に4-6、4-6で敗れた。
2007年10月にプロ転向を宣言し、2012年、2014年と2度の優勝を飾った思い出の有明センターコート。
試合後、オンコートインタビューと簡単な別れのセレモニーが催された。
涙する松岡修造氏、そして花束を持って駆けつけた杉山愛氏、国枝慎吾氏、添田豪監督、伊達公子氏の姿を見ると、錦織の涙腺がほどけた。
「泣くなんて思ってなかった」という、飄々さが売りの男の目が、みるみる真っ赤になった。
「諦めなかったことが誇り」
だが、その感極まった姿以外は、錦織らしかった。
最後の試合、錦織ファンを公言するティアフォーに本気で勝つ気だった。
「もうちょっといいプレーを見せたかったです」
「やっぱり悔しいです」
「本当に負けず嫌いなんでしょうかね。もう少し魅せたかったですね。それしかないですね」
「やっぱちょっとどこかネジが外れているんでしょうね、僕」
そう笑わせた後、長年故障に苦しみ、まともに動けなくなっても最後まで自らの復活を信じた男にしか言えない、重い言葉を残した。

「でも最後まで、この負けず嫌いがなくならなくて良かったなと思ってます」
「ケガで何年も(プレー機会を)自分は失った中で、
最後の最後まで諦めずにプレーできたということが自分の誇りかな、と思います」
ひと際大きな拍手を受けた後、思い出のセンターコートを手を振りながら1周し、コートを去った。
その背中の偉大さを、どうしても振り返らずにはいられない。
錦織圭とは、日本テニスにとって何だったのか。
伝説の14ゲーム ― 2014年マドリード決勝
錦織のキャリアの頂点といえば、ファイナリストとなった2014年全米オープン。
だがその4カ月前、「日本人のグランドスラム優勝」が本当の意味で現実味を帯びた一戦があった。
ATP1000、マドリード・オープンの決勝である。
この年の錦織は止まらなかった。
2月にメンフィス、4月にはバルセロナで優勝。
勢いそのままにマドリードでも勝ち上がり、準々決勝でフェリシアーノ・ロペスを6-4、6-4で下して、日本男子初の世界トップ10入りを確定させた。
さらに準決勝では、世界5位のダビド・フェレールと激突する。
地元スペインの大声援を背負う相手に、錦織は7-6(5)、5-7、6-3のフルセットで競り勝った。この年ここまで27勝4敗、決勝まで14連勝。
5月11日、決勝の相手はラファエル・ナダル。当時世界1位、無敵のクレー王者である。
錦織は序盤から攻めた。ベースラインの内側に踏み込み、早いタイミングのフラットショットで左右に振り回す。本来ならクレーで相手を支配するはずのナダルが、はるか後方に下がらされ、ミスを重ねていく。
第1セット6-2。第2セットも4-2。ナダルのサービスゲームを3度破り、
ここまでの獲得ポイントは錦織49、ナダル36。
絶対王者撃破とマスターズ初優勝まで、あと2ゲームに迫っていた。
| セット別 ナダル戦トータルポイント | ||
| 錦織 | ナダル | |
| 28 | 第1S(6-2) | 19 |
| 26 | 第2S(4-6) | 34 |
| 1 | 第3S(0-3) | 12 |
| 55 | Total | 65 |
ナダル陣営も認めた強さ
だが、「テニスの神様」は無情だった。
前日のフェレール戦の激闘の疲れもあった。
アグレッシブな攻撃で、短期決戦を試みていた錦織の身体が悲鳴をあげる。
足を踏み鳴らすような仕草を見せ、チェンジコートでトレーナーを呼ぶ。直後のサービスゲーム、15-30からの長いラリーの後、錦織は腰を押さえた。
その後のプレーの激変ぶりは、誰の目にも明らかだった。
錦織は7ゲームを連取され、ファイナルセット0-3でリタイアした。
| ナダル戦 故障前後で分けたトータルポイント | ||
| 錦織 | ナダル | |
| 49 | 第2S 4-2まで | 36 |
| 6 | 以降 | 29 |
| 55 | Total | 65 |
▶「Tennis TV」 YouTubeより
▶「WivoRN Productions」YouTubeより
▶「Encantado Tennis 2」YouTubeより 準決勝フェレール戦
スコアの上では、ナダルの逆転勝利である。
だが、試合を最も近くで見ていた人物は違う見方をしていた。ナダルの叔父でありコーチのトニ・ナダルは、試合後にスペインのテレビ局の取材でこう語っている。
「勝利に値したのは錦織だった。我々は非常に運が良かった。逆転したのではなく、彼が負傷したのだ」
勝者の陣営から、これ以上の賛辞はない。
あの14ゲームの錦織は、紛れもなく「世界の頂点」にいた。そう断言できる。
ベースラインから一歩も下がらず、恐ろしいハイテンポで打ち合い、ナダルを圧倒した。
日本選手がグランドスラムを制する日が、本当にもうすぐやって来る。
見ている誰もにそう感じさせるプレーだった。
忘れ難い全米準優勝
マドリードの後、錦織は腰の負傷で全仏を1回戦で落とし、夏には足の手術も受けた。
全米オープンは出場すら危ぶまれる状態だった。
それでも、ニューヨークで快進撃は起きた。
4回戦でラオニッチ、準々決勝でワウリンカをいずれもフルセットで退け、準決勝では世界1位のジョコビッチを破る。
アジア男子史上初のグランドスラムファイナリストの誕生だった。
ここで詳細を記す必要はないだろう。
テニスファンなら、今も誰もの記憶に鮮明に残っている2週間だ。
だが、私にとって、それ以上に強烈だったのが、マドリードの前半14ゲームの「衝撃」だった。
| 2014年全米オープンの錦織勝ち上がり | ||||
| 回戦 | 対戦相手 | R | スコア | |
| F | ⚫️ | M・チリッチ | 16 | 3-6,3-6,3-6 |
| SF | ⚪️ | N・ジョコビッチ | 1 | 6-4,1-6,7-6,6-3 |
| QF | ⚪️ | S・ワウリンカ | 4 | 3-6,7-5,7-6,6-7,6-4 |
| 4R | ⚪️ | M・ラオニッチ | 6 | 4-6,7-6,6-7,7-5,6-4 |
| 3R | ⚪️ | L・メイヤー | 26 | 6-4,6-2,6-3 |
| 2R | ⚪️ | P・アンドゥハル | 48 | 6-4,6-1,RET |
| 1R | ⚪️ | W・オデスニク | 176 | 6-2,6-4,6-2 |
▶US OPEN 公式YouTubeより
五輪100mで銀メダル級
スポーツの歴史は、様々な「ジャイアントキリング」によって塗り替えられてきた。
当時スポーツ新聞に勤務していた私は、全米オープン準優勝の価値を
「日本の男子選手がオリンピックの100mで2位になったようなもの」と表現して回った。
まだ日本のスプリンターの誰も10秒の壁を破れなかった時代である(2017年9月、桐生祥秀の9秒98が日本人初の9秒台)。
その後も、2015年ラグビーW杯の南アフリカ撃破、2022年サッカーW杯のスペイン撃破と、日本スポーツは数々の驚きを生んできた。
だが、個人競技で当時世界11位の錦織が、トップ10の3人を死闘の末に連破した事実は、数年前までは想像すらできなかった、とんでもない出来事だった。
テニスは対人競技で、明確なレベルの高さを、数字で示すのはなかなか難しい。
それでも、全米オープン決勝進出は五輪の100mで銀メダルを取ったようなもの、
マドリードの戦いは100mで10秒を切るようなレベルを見せた試合だった。
このテニスさえ続けていれば、いつでもビッグタイトルを手にできる。
そう信じられる内容だった。
しかし、現実はマスターズ優勝もグランドスラム制覇も叶わなかった。
BIG4全員を破った稀有な存在
錦織のツアー人生は、フェデラー、ナダル、ジョコビッチ、マレーという、テニス史上最高峰のレジェンドたちがひしめく時代と重なっていた。
錦織がツアー初優勝を飾った2008年、BIG4は初めて世界1〜4位を独占した。
1989年生まれの錦織は、まさに全盛期のど真ん中に放り込まれた世代だ。
| 錦織BIG4との対戦成績 | |
| ロジャー・フェデラー | 3勝8敗 |
| アンディ・マレー | 2勝9敗 |
| ラファエル・ナダル | 2勝12敗 |
| ノバク・ジョコビッチ | 2勝18敗 |
| 9勝47敗 | |
BIG4との対戦成績は9勝47敗と数字だけを見れば大きく負け越している。
だが、20年以上続いたBIG4時代に、
4人全員から勝利を挙げた選手は21人しかいない。
アジア出身は錦織ただ一人だ。
ナダルに6勝、ジョコビッチに5勝したダビド・フェレールでさえ、フェデラーには17戦全敗に終わっている。
| BIG4全員に勝利したことのある選手 勝利数順 F=フェデラー、N=ナダル、D=ジョコ、M=マレー | |||||
| 選手名 | F | N | D | M | 計 |
| ワウリンカ | 3 | 3 | 6 | 10 | 22 |
| デルポトロ | 7 | 6 | 4 | 3 | 20 |
| ベルディハ | 6 | 4 | 3 | 6 | 19 |
| ツォンガ | 6 | 4 | 6 | 2 | 18 |
| ティーム | 5 | 6 | 5 | 2 | 18 |
| ロディック | 3 | 3 | 5 | 3 | 14 |
| ズベレフ | 4 | 4 | 5 | 1 | 14 |
| ダビデンコ | 2 | 6 | 2 | 4 | 14 |
| ナルバンディアン | 8 | 2 | 1 | 2 | 13 |
| リュビチッチ | 3 | 2 | 2 | 3 | 10 |
| 錦織 圭 | 3 | 2 | 2 | 2 | 9 |
| 以下、チチパス、チリッチ、ディミトロフ、キリオス、ルブレフなど ※グランドスラム、ツアー大会、ATPファイナルズ、五輪、デビスカップを含む公式戦 | |||||
グランドスラムでBIG4全員に土をつけたことのある選手は、
ツォンガ、ベルディハ、ワウリンカのわずか3人。
錦織はそれには至らないが、
その勝利はグランドスラム、五輪、ATPファイナルズ。
ほぼグランドスラムに匹敵する大舞台。
その価値がいかに高いかが分かるだろう。
| 錦織の大舞台でのBIG4撃破 | ||
| 年 | 相手 | 内容 |
| 2011 バーゼル準決勝 | ジョコビッチ | 日本選手初の世界1位撃破 |
| 2014 全米準決勝 | ジョコビッチ | アジア男子初のGS決勝進出 |
| 2014年 ファイナルズ | マレー | 初出場初戦で地元英雄を撃破 |
| 2016年 全米準々決勝 | マレー | フルセットの末勝利 |
| 2016年 リオ五輪3決 | ナダル | 日本テニス96年ぶりのメダル |
| 2018年 ファイナルズ | フェデラー | 憧れの存在に年間最終戦で勝利 |
マスターズを阻んだのは常に「世界1位」
錦織はマスターズ1000のタイトルを1度も手にできなかった。
4度進んだ決勝の相手は、すべてナダルかジョコビッチ。
しかも全員が、当時の世界1位だった。
| 錦織のBIG4との決勝全6試合 | |||
| 年 大会 | 格付け サーフェス | 相手 相手Rvs錦織R | スコア |
| 2011 バーゼル | 500 室内ハード | フェデラー 4位vs32位 | 1-6,3-6 |
| 2014 マドリード | 1000 クレー | ナダル 1位vs12位 | 6-2,4-6,0-3 |
| 2016 マイアミ | 1000 ハード | ジョコビッチ 1位vs6位 | 3-6,3-6 |
| 2016 バルセロナ | 500 クレー | ナダル 5位vs6位 | 4-6,5-7 |
| 2016 トロント | 1000 ハード | ジョコビッチ 1位vs6位 | 3-6,5-7 |
| 2018 モンテカルロ | 1000 クレー | ナダル 1位vs36位 | 3-6,2-6 |
| 決勝の相手別成績 | ||
| 決勝の相手 | 勝敗 | 勝率 |
| BIG4 | 0勝6敗 | .000 |
| BIG4以外 | 12勝9敗 | .571 |
| 合計 | 12勝15敗 | .444 |
BIG4以外との決勝では勝ち越しながら、BIG4との決勝は6戦全敗。
錦織のタイトルを阻んできたのは、常にテニス史上最強の男たちだった。
全盛期の4人と時代が重ならなければ、彼の手にはもっと多くのタイトルが残っていたはずだ。
だが、トロフィーだけでは量れない価値がある。
ドロップ正当化 バックボレーの推進力
天性としか言いようのない、圧倒的な「当て勘」。全ショットの威力は、10代にして世界トップクラスに達していた。
かつての日本では、「逃げるようなショットを打つな、しっかりラリーをしなさい」と注意されるのが当たり前だった。
そんな時代に、錦織は意外性のあるドロップショットを次々と繰り出した。
体格で劣る日本選手こそ前後の揺さぶりを使うべきだ。今では当たり前となったこの考え方は、「ニシコリケイ」という存在があって初めて、完全に「正当化」されたのだ。
ネットプレーもそうだ。ストロークはトップに匹敵しても、ボレーには不慣れな選手がほとんどだったのが、かつての日本テニス界である。
決してネットプレーヤーには見えない身長178cmの錦織が、ネット際でぎこちなさを一切見せず、流れるようにこなす姿は「異質」だった。
特にバックボレー。サイドを抜かれそうになると、リーチが短い選手ほど、ボールを追いかけてネットと平行に足が出てしまうものだ。だが錦織は、どんな時もネットに向かって斜め前へ踏み込む。教えられてもなかなかできない芸当を、完全に身につけていた。
日本選手の体格でも世界で勝てる
エアケイやジャックナイフといった派手なショットだけではない。
両手バックハンドから繰り出す変幻自在の攻撃と、角度を付けられるストローク、多彩なバリエーション。
そして何より大きいのは、「日本選手でも世界で勝てる」という現実味を後進に与えたことだ。
グランドスラム優勝は遥か彼方の夢。そんな日本テニスの「常識」を、2014年の錦織は間違いなく覆した。
絶対に超えられないと思われていた「壁」を、「一瞬」とはいえ、間違いなく打ち破って見せたのである。
アジアの男子として初めて開けた数々の扉が、それを物語っている。
| 錦織が成し遂げたアジア人男子初の主な偉業 | |
| 年 | 記録 |
| 2008 | ATP最優秀新人賞 |
| 2014 | グランドスラム決勝進出(全米オープン) |
| 2014 | ツアーファイナル出場 |
| 2014 | 年間最終ランキングでトップ10入り(5位) |
| 2015 | 自己最高世界4位(アジア人男子史上最高位) |
| 2025 | 通算450勝到達 |
引き継がれる系譜
時代に恵まれなかったのかもしれない。ケガさえなければ…、BIG4がいなければ…。
それでも2014年5月、マドリードの赤土の上。
あの14ゲームの間、世界で最も強いテニスを見せていたのは、一人の日本人だった。
錦織圭は確かに世界の頂点と渡り合い、
日本のテニス少年たちに「世界の頂点は夢ではない」と信じさせた。
それこそが、錦織圭が遺した「最大のタイトル」だ。
西岡良仁の角度を付けるストローク、望月慎太郎のネットプレー、坂本怜の遊び心あふれるプレーには、間違いなく錦織の影響がある。
錦織を追うテニス少年の姿は、これからも続くだろう。
この日がツアー本戦685試合目。ツアー優勝12回、マッチ通算452勝233敗。
ありがとう、Kei。
最後まで負けず嫌いでいてくれて良かった。
ケガもBIG4の存在も、もはや関係ない。
あなたが見せてくれた景色は、本当に最高だった。




